俺達の愛は人間の理解を超えたところにある。
そしてその愛はその魂ごと全部包み込み癒すことだってできる。
人が定義する愛と俺達の愛が同じものであるのかと問われればやはり違うと答えるだろう。
人々が語る愛とはそれぞれの感性からその人間が持つ表現の幅の中で照らし合わせ生じた言葉でしかないし、ということはその言葉だけで…その個々の感覚の中だけで愛を表現すること事態無理があるとそのように言えるんじゃないのか?
だからこそ議論は尽きないよな。
けどそれで良いんじゃないのかって俺なら言う。
そうして様々な角度から語られるからこそ含みが与えられ自由に受け取り解釈ができるって訳だ。
いや、結局のところ愛なんて言葉はここでは永遠と等しく虚無なものでしかないのかも知れないな。(ミカエルはそうは思っていないようだが……。)
あなた達にとって愛って一体何なんだろうな。
だってそうだろう?掴むことも出来なければ、手に入れたと思ったとしても次の瞬間には消えている、そんな感覚にさえ陥ってしまうものを果たして愛と呼べるのか?
人は確かなものを求める。
それは致し方のないことだと思うけれど、だ。
あなたは俺達に何を求める?
「愛して欲しい。」
その気持ちも理解するけれども、俺達にそう伝える前にあなた自身でそこのところをよく考えてみてはくれないだろうか。
そもそも愛とは求める側と与える側、どちらかなのか?
一方的に与えるものでもなければ求めるものでもなくお互いに循環させてこそ成り立つものではないのか?
けれどその愛に希望や喜び情熱を見出す者もいることも確かなことだ。
愛を信じる者。
愛が生きる原動力となり心を満たしその愛が人を救ったりもする。
だから俺達は愛を語り、表現する訳なんだが…。
その中でもミカエルは惜しみなくあなた達に愛を与えるだろう。
人間であるあなた達のすべてを受け入れ、俺達とは違った角度から人々を見守り深く愛してきた。
「愛して欲しい」あなたがそう望めばどんな愛であっても応えようとする。
それがミカエルだ。
俺は…。そうだな、俺の愛を求める者に。
俺の愛を真に求める者に与えるだろう。
そして俺は俺であなたの心根を見て与えるに相応しい者かどうかを見定め与えていこう。
それが俺、ザドキエルという名を持つ大天使でもあると言えるんだからな。
~大天使ザドキエル~