※17'11/21に内容の一部を加筆しました。
「汝自身を知れ 汝自身について考えろ」
この言葉も色々な解釈があると思いますが
自分を知ることこそが全てにおいて最善であり
自分の内こそ深遠なるものへと繋がっている。
私はそう解釈しています。
『自分を知る。』
けれどそれまでの私は自分自身を否定し自分らしさや私自身に与えられたもの
それは、感受性だったり自分の弱さだと感じていたこの体などetc…そういったもの
を要らないものとして排除してきてしまったので、この時点での私は自分というもの
は何もないように感じていました。
だから受け入れられるようにはなったけど、自分て何??どうしたら自分を知ることができるの?
そんな状態です。
なので何から始めたかというと、興味があること、楽しいと思うことワクワクするこ
とそうして自分の“心”が無条件に“反応”すること、もの。
私の中にあるそのような感覚を頼りに自分探しを始めました。
まるでこれまで捨ててきてしまった自分の欠片を拾い集めるかのように、
けれど、それはこれまでの古い私としてではなく“今”に合わなくなったもの、この時代に対応できなくなった古い価値観など、必要のなくなったパーツは外しながら必要なパーツだけを選び取っていく。
そうして私という欠片を一つずつ繋ぎ合わせ私という存在を再構築しながら
新しい私=今の私が存在しているのです。
心が反応するということにもちゃんと意味があります。
それはたとえ自分(顕在意識)では気付いていなくても、心の奥底(潜在意識)で私
が真に求めているものだからです。
そは心と魂は繋がっているという証になるのではないでしょうか?
ここまでお話ししてきましたが、
これも私の経験としての話ですから、皆さまの参考になるかどうかは分かりません。
行きつ戻りつ、時にヘコみながら、つまずきながら、迷いながら。
あれこれ考え立ち止まりながらも、そんな時もあるよね!なんて。
そうしてここまで来ました。
我が道を行く。
それは我儘なことではない。
人はそうやって生きて良いんですよね。
その自由を謳歌するためには人に嫌われてもいい、そんな覚悟が必要になってくるかもしれませんね。人に合わせていては自分を生ききることは難しいでしょうから。
けど優しさは忘れないでいたい。
私だけの人生、そしてあなただけの人生。
みんな同じじゃなくていい。
たとえ誰かに必要とされなくても、私は私の信じた道をいけばいいのだと。
今だからこそですが、そう思います。
そうして人と人が出会いお互いの人生の中で、
ときに接点を持ちお互いを尊重しながらそれぞれにできることをして
補い合い、支え合い、協力をする。
そんな関係を築けたら素敵ですよね。
確かなものなど存在していないこの世界。
けれど私はこうして確かに存在している。
“我思う故に我あり”でしょうか。
「私が私であればいい。
誰かや何かの為ではなく
私は私の為に存在している。」
それが今の私の存在意義です。
これも未来、私の意識が変わればまたその存在意義も変化していくのでしょうけど。
それでいいのだと思います。
風のように自由に。
水のように形を成さず。
-変化し続けること。-
それはこの宇宙の普遍の真理。
どんなときも変化を恐れず、
積み重ねてきたものも躊躇わず手放せる。
そんな柔軟な心を持ち続けたいものです。
ここまでお付き合いありがとうございました✨
-Rie-