私の声を待ち望んでいる者に対しメッセージを授けていきましょう。
さて、あなたはどのようなメッセージをお望みですか?
それは心地良いと感じるものだったり心が温まる感覚を得られるものでしょうか?
それとも読んでいるだけで胸が高鳴ったり、または好奇心を掻き立てられるようなワクワクと心踊るメッセージでしょうか。
あるいは自らやその意識が高められるようなそんな威厳に満ちた厳かな言葉かもしれませんね。
もしくはあなたはこの人生においてどのようにしたら成功できるのか、を知りたいと望んでいるのかもしれません。
何にせよ人々が求めるものに対し私達は応えようとします。
そして人々が何を望み何を願っているのか……それらを理解しています。
私達はあなたが何を知りたいと思い何を求めているのか何の苦労もなく把握することができるとそのように言えるのです。
もっといえばあなたの魂ごと把握していると言っても過言ではないでしょう。
けれど当然のことながら人々には私達の姿は見えていませんし感知もされません。
そのようになっていた……。
だからこそ私達は実在するものとしてではなく空想の産物としてまた宗教や絵画のなかでは神秘のベールに包まれた存在であり
神の使いとして人々に啓示を与え、それはまるで奇跡の象徴のような存在として描かれました。
私達は常に光であらねばならなかった。
一点の曇りなく。
人々が望む形として。
人々の希望であり救いであり、そして奇跡であらねばならなかったのです。
けれど私は私として存在していたのもまた事実なのです。
人々の描く大天使ウリエルと私は同じものであったのかは私だけが知っていれば良いのであってそれはさほど重要なことではありません。
それでも……私達を見ることも、言葉を聴くこともできなかったとしても、その形を示すことで人々の支えになり希望になりその人の心を救うこととなっていたのならそれはそれで良かったのかもしれません。
けれどもこのメッセージを読んでいるあなたならおわかりのはずです。
“ありえない”存在の者がこうして言葉を使ってあなたに対して語りかけている事実を目の当たりにしているあなたなら。
私達はこうして実在していて、けして手の届かない遠い存在ではないと感じていただけているのではないかと思うのです。
確かに通常の意識では私達の声を聞くことや感じ取ることは難しいですが、思考のざわめきや感情の揺らぎから離れたところに私達は存在しています。
そして私達がこのようにしてメッセージを伝えることに何の意味があるのか。
読んでいるあなたならお分かりのはずです。
こうしてメッセージを託し言葉を伝えていくことは、到底実現が難しいと思われることも根気強くひとつ一つの積み重ねていくことで後に大きな変化をもたらすように。
その先に交わることはなくとも人々の中に新しい認識が生まれれば、それが当然のこととして自然と受け入れられるようになると知っているからです。
一石を投じるか否かでその結果が違ってくるのは明らかです。
こうしたメッセージを発信していくことも私達との共同作業であり、どちらか片方だけでは成立しません。
もちろんボタンの掛け違いのないように双方が慎重に擦り合わせながら歩み寄ることも大切です。
私のこのメッセージもあなたの心に一滴の雫を落とすようなものです。
その一滴の雫は水紋を描き広がってそうしてゆっくりとあなたの深部へと浸透し、あなたの中で何かが芽吹き、やがてはあなたを動かす原動力となるように。
私は今この地点から未来のあなたへと託しているのです。
〜大天使ウリエル〜
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