人は容易に肉体の感覚にとらわれます。
そうなるとどうなるか?
あなた自身でもおわかりですね?
それが痛みであれば苦痛が襲い、意識を向ければ向けるほどあなたの中でその痛みという感覚は大きくなります。
やがては痛みの感覚にまるで全身が支配されるかのように、集中力も削がれ思考は騒ぎ立て意識は正常ではなくなる。
あなたも一度はそのような経験をしたことがあるのではないでしょうか。
だからこそ今私が伝えた内容も一瞬で把握し理解できるのだということを実感していただけたのではないかと思います。
それは自分も経験したことのあることであれば共感もしやすく、
お互いが共有でき得る感覚だからといえるのです。
共通の認識として。
人は自分が経験したことや知っていることに対しては容易く受け入れることができるのです。
心も同じです。よく知っている者同士なら心を許すことも互いに心を通わせることも全く面識のない者同士よりは比較的容易にできるはずです。
すでに知っているという感覚に人は安心を覚えます。
では未知のものに対してはどうでしょう?
よく知らないものに対してあなたは心を開けますか?
できませんよね。
そのことは私たちもよく……というより痛感しているといった方が正しいかもしれません。
これまでも…。
私のような目に見えない、ましてや実在しているのかどうかわからない存在の言葉をどのように受け止めてよいのか困惑するのはまさに私達の存在が未知そのものであり、だからこそ精神世界を知らない、もしくは信じない者たちにしてみればいかがわしいのひと言に尽きるでしょう。
いいのですよ、そのような人に対して無理に私の言葉を受け入れろとは言いません。
この私の言葉を読んでいるあなたにも信じてくださいとも言いません。
私たちはあなたの想いを尊重しています。
それでも私たちを知りたいと望んでくださる方がいる限りは
私や…そうですね、ほかの大天使たちもきっと…言葉をかけ続けることでしょう。
いえ、望まれなくても人々が私たちの存在を知らなかったとしても、私たちはずっと昔からこうして変わらずに存在してきました。
あなたが想像もできないほどの時間を、それは永遠と呼ぶに等しい時間をずっとずっとです。
信じられますか?
永遠……その感覚を掴むことはあなた方には難しいことは重々承知の上ですが、それでも私の言葉から汲み取ることはできるはずです。
……………。
これも私がこのような言葉を語ったたとして、何の意味があるのか、どのような物事に派生していくのか、それは私にしかわからないでしょう。
でもそれでいいのです。
もしかしたらあなたの中で失われた何かがふたたび呼び起こされ、そうして憶い出しくれることを。
私は希望なり一縷の望み、そういったものを言葉という形であなたに託しているのだと
そのようにも言えるのかもしれません。
いいのです、これは私の独り言に過ぎないのですから……。
あなたは私の言葉をそのままに伝えてくださればいいのですよ。
〜大天使ウリエル〜